秋の蚊

 初めて“秋の蚊”という季語を知ったとき切ない気持ちになった。夏が終わっても生き残っている弱々しい蚊のことを指すらしい。季節が終わっても死ぬことができない蚊――切なくなるのは、人間にも当てはまるところがあるような気がするからだろうか。

 しかし実際の“秋の蚊”は少しも弱々しくなんてない。実はさきぼど、いやというほど蚊に刺された。右腕3ヶ所、左腕2ヶ所、右足2ヶ所。左足4ヶ所。蚊の多いところに出掛けたのではなく私の部屋の中で。
 しかも、何匹もいたわけでもない。おそらく1匹の仕業。殺虫剤の匂いが嫌いなので、なんとか手でパチンとやりたいのだが、これがなかなかすばしこい。秋の蚊はまったくもって元気である。

 さて、この『蚊』という文字。『虫』と『文』という面白い組み合わせだ。『文』の字源は線が交わっている意。あや・模様などを表している。
 蚊は蚊柱
とよばれるほどの群をなす。その交わり群れている様子から『蚊』という漢字になったことが推察される。なんと雅やかな漢字だろう。
秋の蚊
 それならば、蚊柱も群れているだけでなく、美しい模様を織りなしてくれな
いだろうか。秋の夕暮れ、鈴虫の音色に乗って、魚の形をなした蚊の群れが庭をすいすいと泳ぐ。そのあとパッと散り、たくさんの小さな音符に姿を変え、リズミカルに動く。
 そんなことを想像すると、蚊もほんの少しは愛しく感じられる。蚊が楽しい気分にさせてくれる。

 しかし、いくら楽しくなったところでかゆみは引いてくれるはずもなく、秋
の蚊に刺された手足をぽりぽり掻く色気なさだ。(了)