繊細なものが好きだ。壊れそうなほど脆いものが好きだ。消え入りそうに儚いものが好きだ。 美の定義は国や個人によりさまざまだと思うが、私の美しさの定義はこのあたりで出来ている。 ぞんざいな扱いをすれば割れてしまうガラス細工。 使い勝手は非常に悪い。これで手を拭こうものなら瞬時にビショビショになり、そのままバッグに入れようものなら、次に取り出した時にはクシャクシャになっている。洗濯後はアイロンをかけないとみっともない状態になる。 アイロンをかけたり、シワにならないように仕舞ったり、刺繍やレースがほどけないように丁寧に扱ったり。手をかけて時間をかけて関わっているというのに、それに見合った働きをしてくれない。こちらが消耗するばかりだ。 だが、それでいいのだ。 額の汗をそっと押さえるのは、これでなくてはいけない。絶対に。 機能なんてどうだっていい。美しいものや恰好がいいものは、得てして使い勝手が悪いものなのだ。「使えないモノ」は美しい。「役立たず」は美しい。「機能性のあるモノ」は美しくない。そう信じている。 美しいものは美しいだけでいい。付加価値などいらぬ。美しいことが存在意義なのだ。 人間だってそうなのかもしれない。 人を魅了するモノは、何の機能も持たない。 色男、金と力はなかりけり。 ああ、もう年の暮れだ。来る年は少し機能性を考えてみようかしら。年を重ねるごとに残された時間は少なくなっていく。物でも者でも、応えてくれないモノに手間暇かけている時間がもったいない。来年はタオルハンカチを買ってみようかな。 |