ごく普通な人たち

 自分の意見を述べる場面などで、時々耳にする言葉――。
「俺に言わせれば、こんなもの○○だよ」
「極端な話、○○なんだよね」
 このセリフを使用して話される内容というのは、大抵、とても普通だ。朝になると朝日が昇るのと同じくらい普通で、驚かされることは、まず、ない。

 例えば、粗悪な物品を目の前にしたとき。
「俺に言わせれば、こんなもの、素人が作ったモンだ」
 あのー……。誰に言わせてもそうだと思うけど?
「俺に言わせ」たんだから、もっと特別なことを言ってほしいものだ。

「俺に言わせれば、こんなものハンバーグを食べなくなったハクション大魔王だ」
 などと言ってくれたら、少しは感心するかもしれない。いやしかし、狙いすぎてもツマランのだが。

「うちの旦那、マザコンで。極端な話、食事のメニューまでお母さんに報告してるの」
 どこが極端なんだろう。「極」めてもいなければ「端」にも位置しない話だ。
「中央な話」といったところである。

 自分の意見や状況が「特別なもの」「変わったこと」だと主張したいのだろう。しかし、この言葉を用いたせいで「ごく普通」さを主張することとなってしまう。

 他にも似たような効果を持つ言葉がある。
「私って変わってるから、云々」というセリフ。
 変わってる人は、自分で変わってるなんて言わないし思わない。「自分って変わってる発言」をしてしまった時点で、その人は「変人に見られたい、ごく普通の人」であることを露呈する結果となる。

 まあ、人はみんなそれぞれ違うから、本当はみんな「変人」だ。その中には押しも押されもせぬ変人はいるだろう。でも、身近には「個性的」だとは感じても「変わってるなあ」と感じさせられる人は一人もいない。

 広い世の中には「オレに言わせりゃあ」がすごい人もいるだろう。めっちゃ「極端な話」をする人もいるんだろう。でも今のところ、そんな話聞いたことはない。

 変人の話す極端な話。変人のオレに言わせた話。いつか聞きたい、いつか出会いたいものである。(了)