携帯電話を変えた。 カメラ機能がついている機種にようやく買い換えたのだ。外に出ると撮りたいものに出くわすことが多いので、カメラ付がずっと欲しかった。やっと手に入って嬉しい。……なんて言っているが、昔、私はアンチ携帯派だった。そのころ、こんな詩を書いたのを思い出した。以下、全文。
「ぼくらの種族」 カバンの中でプルプルプルと鳴く声は ヒトの感覚機能のひとつとなった プルプルプルプルプルプル * 携帯電話がない頃 コードレス電話に驚いた コードレス電話がない頃 プッシュホンが流行した プッシュホンがない頃 ダイヤル黒電話が普及した ダイヤル黒電話が出たとき コードに荷物をつなげば ダイヤル先に荷物が届くと思った人が沢山いた 電話のある家が羨ましかった時代があった * 電話がない頃 急ぎの用は電報が告げた D社がなかった頃は筆まめの人が多かった その前は飛脚が活躍し 飛脚が生まれる前は 我が足が伝達手段だった * ヒトが けむくじゃらだった かこには とおくの とおくの とおくの なかまと のうはを つかって こうしんできた ヒトはいま ひんじゃくな ごかんさえ うしないつつあるけれど * ぼくらって ほんとうのほんとうは とってもとってもすばらしい
人は色んなモノを発明し、その代償に色々な身体機能を失ってきた。 私は携帯を持つようになってから「電話番号を覚える」ということをいつの間にかしなくなっていた。スケジュールも携帯やダイアリーに書き込んで管理。覚える必要がないからだ。こうしたことが積み重なって、また「何か」を失ってしまうのかも……と頭をよぎるのは杞憂だといいのだが。
手軽に持ち歩けるカメラ付携帯――これを活用し続けたら、私は、感動したり面白かったりした場面や風景を、心に留めなくなる日がくるのだろうか。電話番号やスケジュールを記憶しなくなったように。
そんなことにはならないように、これからも文字を綴り絵を描いていこう。 心も眼もピカピカでいられるようにと願いを込めて。(了)
|