小泉八雲『耳なし芳一のはなし』考察

「耳なし芳一は、そこに経文が書かれていなかったために耳を失ったが、和尚は本当に書き忘れただけなのだろうか」

 そんな疑問を私に投げかけた人がいた。

――ついうっかり忘れたのか。
――わざとではないのか。

 はて、どうなのだろう。
 考えてみると、確かにそうだ。髪で耳が隠れていたのなら分かるが、芳一は坊主である。坊主頭に書いたのに、そこに出っ張っている耳を忘れるものだろうか。
 改めて読んでみる気になった。少々調べもしてみた。よく知られている話なので、あらすじは書くまでもないだろう。

耳なしほういち2

 物語に書かれてはいない部分も含め、注目すべき点がいくつかある。
① 芳一が琵琶を奏でて歌っていた内容は、壇ノ浦合戦で滅亡した平家の悲しみだった。
② 平家の幼帝、安徳天皇はこの壇ノ浦合戦で死亡している。わずか8歳であった。
③ 芳一の身体に経文を書いたのは、阿弥陀寺の和尚。そして、平家の安徳天皇が祀られているのは、阿弥陀寺陵。

 ここから考えると、芳一に経文を書いた和尚と、安徳天皇が同一だとするのが妥当なのではないか。和尚は生身の人間ではなく、安徳天皇の霊。もしくは、安徳天皇の生まれ変わり。いずれかではないかと考える。和尚(安徳天皇)にとって、平家の悲しみを歌う芳一は大切な存在だった。

 以上を踏まえたうえで、さらに注目すべき点をひとつ加える。
④ 芳一は幼いころから琵琶の名手だった。その演奏は少年のころから師匠達を凌駕していたという。

 芳一が吟誦すると鬼神すらも涙を流したというから、彼は名もなき天才ミュージシャンだったわけだ。 天才だったが、認められることはなく生きてきた芳一。そんな彼は、霊に誘われて(霊とは知らずに)琵琶と歌を披露しに行ってしまう。

 その誘いは、芳一に大きな魅力を感じさせるものだった。高貴な人たちからの招待なのだ。貧乏暮らしから抜けられるのではないか、ここからスタートできるのではないか……という淡い期待を持ったことが記されている。

―引用ここから―
彼は、身の幸運に思いめぐらしはじめた。――というのは、さきほどこの家来が、「やんごとなき身のお方」といった言葉を思い出し、琵琶を聞くことを所望された主君とは、すくなくとも一流の大名にちがいないと考えたからである。
―引用ここまで―(新潮文庫 小泉八雲集より)

――平家は「負け」て滅亡していったというのに、そしてお前はその悲しみを謡っていたはずなのに、本当は「勝ち」にいきたいのか。幸運をつかみたいと思っているのか。裏切りは許さないぞ、芳一 ――
 そんな思いが和尚に、いや、安徳天皇に芽生えたのではないのだろうか。裏切り許すまじ、と。

 和尚と安徳天皇が同一だと考えると述べたが、別人だったとしてもいい。それで「裏切り許すまじ」説は立ち消えとはならない。別の視点からも、「裏切り許すまじ」の気持ちは見えているのだ。

 ここでさらにもうひとつ注目すべき点を追加する。
⑤ 和尚は音楽好きで、それが高じて芳一を寺にかこっていた。

 そもそも和尚は音楽が好きだった。芳一の才能に目をつけて、彼を招いて弾奏・吟誦させていたのだ。それがやがて自分の寺に住まわせるようにまでなっている。しかも食事付きで、である。芳一側は返礼として、和尚の前で琵琶を奏することだけが条件だった。
 自分専属の若き天才ミュージシャン。傑出した才能を独占する喜び。それが夜な夜な出て行くようになったのだ、成功を頭の隅に置きながら。パトロンだった和尚の許可なしに。(念のため書いておくが、芸術家等に援助する人を『パトロン』と呼ぶ。愛人等といった意味合いはそこにはない)

 やはりこれは「裏切り許すまじ」ということではないか。

 ……ひょっとしたら、僧侶らしく「無欲であれ。ひたすら芸を磨け」と伝えたかったとも考えられなくもない。いやしかし、やはりそんな美しい格言がこめられているのではないと考える。なんせこれは、ラフカディオ・ハーン『怪談』におさめられている作品なのだから。

 敢えて耳に経文を書かなかった、こうなることを知っていた、と確信する部分がある。耳をもがれて血を流している芳一を見たときの和尚の言葉だ。

「かわいそうに芳一!」
「これはどうした? ……怪我をしたのか……」

 この言葉をどう思うだろう。いささか呑気すぎると感じないだろうか。耳をもがれたのだから大量の血を流しているに違いない。なのにこんな呑気なセリフが出るだろうか。

「ど、どうした芳一! なにがあった! 大丈夫か!!」  
 こんな風にすると作品の世界観が壊れてしまうが、予期せぬ出来事だったとしたならば、もっとうろたえるはずなのではないか。この冷静ぶりを見るにつけ、和尚はこうなることを知っていたとしか思えないのだ。

 さらに追及するならば、経文を書いたのは和尚だが、頭部に書いたのは寺の小僧だったと物語終盤で明かされ、和尚はそれをチェックしなかったと言っている。小僧の年齢は記されていないが、これが8歳で命を落とした安徳天皇かもしれない。

  和尚はわざと耳だけ経文を書かなかった。もしくは書かれていないこと知っていた上で敢えて見ぬふりをした。そうすることで芳一を戒めたのだ。平家に対する裏切りか、自分に対する裏切りか。いずれにせよ、裏切ろうとする芳一をこらしめた。
 ――それが私の辿りついた結論である。(了)

―――――――――――

◆あとがき
 こんな雑文にあとがきもないと思うが、謝辞として記したい。

 僧はなぜ耳に経文を書かなかったのか? 本当に忘れたのだろうか?

 こういった疑問を持つ人が私はたまらなく好きだ。その着眼点にもハッとさせられるし、そこから持論も生まれる。

 もう遠い昔の話だが、私はとある時期、おそらく多くの人にとってはどうでもいいようなこの手の話題ばかりを考えたり話したりしていた。大抵の人が「さあ、どうなんだろ」「わからない」「はっはっは」等で片づけてしまうような(事実、そうされてしまう)、一見ドウデモイイようなことを延々と考えたり話しあったりすることが大好きだったのだ。それは私にとって「呼吸」と比較できるほど大切なことだった。

 真面目な課題でもふざけた話題でも良かった。そこから導き出されるものも、真面目な正論でもふざけた持論でも良かった。「考える行為」それ自体が好きだし、それはとてもスリリングで魅力的な遊びでもあった。そうして過ごした時期は、今の私を形成する大切な土台となっている。

 現在に至っては、このような話に付き合ってくれる人は身近にいない。そんな状況のせいか、芳一の疑問には大いに興味をそそられ、また、随分なつかしい感覚を呼び起こされた。

 この疑問を提示し、きっかけをくださったHさんに謝意を表します。ありがとうございました。

2012.12.23 謝辞に変えて――ながたみかこ

 耳なしほういち1
(静かな小道を散歩しつつの思索であった)

LINEで送る
Pocket