人魚になるか・ならないか

■生まれ変わったら?
 来世があるとするならば、あなたは何になりたいだろう。

 気ままに生きる猫?
 飼い主から寵愛を受ける犬?
 それとも雲とか風とか木?
 人間ならば、大金持ちとか美形とか?
人魚になるか・ならないか1
 生まれ変わったら何になりたい?
 私は――来世でなくてもいいのだが、なってみたい生き物のひとつに「人魚」がある。……おっと。それを言う前に、ひとつ言っておくべきことがあった。

 私がやってみたいことのひとつに「誰もいない海を全裸で泳ぐ」というものがある。映画『青い珊瑚礁』のように一糸纏わぬ姿で澄んだ海を泳げたら――。想像するだけで、どこかへ飛んで行ってしまいそうになる。あへ。

 海の底には、地上とはちがう「世界」が広がっている。まるで別の星のような世界が。紺碧に近い深い深い青の世界。 dark blue.
 生命の中心に「核」というものがあるとしたら、この色に違いないと思っている。魂の色に満ち満ちた海底を遊歩してみたい。あへ。
人魚になるか・ならないか2

 そこで暮らしていけるのなら、それもいいと思う。月夜の美しい晩に月光を浴びるためだけに水面に顔を出す。生きる目的はそれだけでいい。美しい月を見ること。それだけ。

 そこから自然とつながる「人魚」へのあこがれ。
 美しく輝く長い髪。日焼けを知らぬ白い肌。舟人を惑わす澄んだ歌声。岩に腰掛けて髪を梳るときの身体の曲線。非の打ちどころがない美しき生き物。

 人魚はその神秘性からか、時折、小説や童話にも登場する。色々な物語に残る人魚たちを、ここで少々紹介したい。

■『人魚の姫 / アンデルセン』
人魚になるか・ならないか3
 人間の王子に対する「無償の愛」で貫かれたこの作品。有名な物語なので、あらすじを説明するまでもないはずだ。

 しからば、細部を紹介。この作品の印象的な部分には「風景の美しさ」がある。物語冒頭から繰り広げられる、海底の風景。

(引用ここから) 海のおきへ、遠く遠く出ていきますと、水の色は、いちばん美しいヤグルマソウの花びらのようにまっさおになり、きれいにすきとおったガラスのように、すみきっています。(中略)お城のかべはサンゴでつくられていて、先のとがった高い窓は、よくすきとおった琥珀でできています。それから、たくさんの貝がらがあつまって、屋根になっていますが、その貝がらは、海の水が流れてくるたびに、口をあけたりとじたりしています。その美しいことと言ったら、たとえようもありません。なにしろ、貝がらの一つ一つに、ピカピカ光る真珠がついているのですから。(引用ここまで)

 穢れのない透き通った青の世界に人魚は住んでいるのだ。このような場面がそこここにちりばめられていて、海中を漂っているような錯覚を起こしてしまう。
人魚になるか・ならないか4
 人魚姫は思慮深く物静かで、美を愛し、典雅な声を持ち、立ち振る舞いも芸術品のよう。美しき風景と共に暮らす美しき姫。玲瓏たる世界である。だが、ストーリーには救いがない。絶望の世界だからこその美しさなのかもしれない。
 余談だが、この王子はどうも低能愚鈍……いや、失礼、ダメ男くんのような気がしてならない。見事なまでのぼくちゃん振りにイラっとさせられるのだが、実際お坊ちゃんなのだし、まだ少年なのだろうし、仕方がないか、そうか。

■『赤い蝋燭と人魚 / 小川未明』
人魚になるか・ならないか5
 こちらも有名な作品だが、童話や児童文学に馴染みのない方はご存じないかもしれない。あらすじは、次のとおり。

 人間は良い生き物だと幻想を抱いた身重の人魚が、神社で赤ん坊を出産する。子のいなかった蝋燭屋の老夫婦に人魚は拾われ溺愛される。 成長した人魚には絵心があり、白い蝋燭に赤い絵の具で絵を描くと、それは人々の心をひきつけよく売れた。のみならず、その蝋燭を使って漁に出ると、時化のときでも無事に帰ることができた。
 不思議な力をもつ人魚に目を付けた行商人。金に目のくらんだ老夫婦は行商人に人魚を売り飛ばした。人魚が最後に描いたのは、絵ではなく、赤一色。深紅の蝋燭を老夫婦の元に残して行った……。

――と、この先はネタばれになるので、やめておくべきか。
人魚になるか・ならないか6
 連れ去られようとする人魚の手に握られているのは深紅の蝋燭。なんというエロチシズム。
 この話のトーンは暗い。この作品のみが暗いのではなく、未明作品は多くが暗いものばかり。黄泉の世界や死のイメージを前面に出してくる。
 暗い中だからこそ「赤い蝋燭」の妖艶なほどの深い紅が目に焼きついて離れないのだ。

■『人魚伝 /安部公房』
人魚になるか・ならないか7
 アンデルセン→未明という流れの後、いきなり安部 公房? ええ、そうよ。ぶっこんでいくわよ。壁が立ちはだかっていても、箱男と砂の女にやめとけと言われてもやめないわ。ははん。

 主人公の男が沈没船の中で出会った人魚。髪も肌も緑色で、無邪気で大きな瞳を持つ美少女ならぬ美人魚。
 男は人魚を飼い始める。人魚は緑色の涙を流し、男はそれを口で吸い取る。瞳と口で行われる秘め事。男はこの行為に快楽を覚える。なにしろ相手は人魚、普通の方法では交われないのである。浴室で繰り広げられる淫靡な饗宴。
人魚になるか・ならないか9
 男は人魚を征服したつもりでいたが、実は逆。逆どころか、彼はただの食糧でしかなかった。 人魚は男を体内に取り込みむことで「ひとつ」になりたかった、とは考えにくい。人魚の瞳や行為にはそんなロマンティックなものを感じることはできないのだ。快楽を覚えていたのは男だけ。テッテレー♪ 
 いびつな愛の形や狂気は特別なものではない。きっと、誰の心にも潜んでいる。そして、あなたの隣にいる誰かも、ひょっとしたら人魚かもしれない。

■人魚になるか・ならないか
 人魚の物語を3つ挙げてみた。そうして改めて「人魚になりたいか?」と自問してみると……う~ん。どうだろう? 人魚になって、奇怪な事件や運命に巻き込まれていく? それも悪くない。むしろ巻き込まれたいと言う願望すらある。

 でもやはり、人間の姿のまま全裸で泳ぐ程度の方が、平和で幸せなのだろう。所詮、凡人よ。
 盆も過ぎたし、海水浴客も少なくなっているはずだ。残り少ない夏――そろそろ、誰もいないビーチでも探しに行くとしよう。もちろん水着など持たずにね。
 戻らなかったら……人魚になったとでも思っておいていただきたい。(了)

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