sentimental autumn

 切ない。
 毎年この時期(秋)になると、わけもなく感傷的になる。
 日が短くなり、ああ切ない。澄んだ空に、ああ切ない。透き通った空気が、ああ切ない。ここの所、まったくもってセンチメンタルだ。

 秋になると理由もなく切なくなるのは私だけなのだろうかと友人たちに聞いてみたことがある。答えは、大体私と同意見であった。
「なぜか寂しい」
「人恋しくなる」
「なんか知らんけど涙が出そう」等々。
 なぜ秋は人を切なくさせるのか。それはやはり、人間が自然界の一員であることを外しては語れまい。

 現代は人工的に陣痛を起こさせて出産することもあるが、近代医学が発達するまでは人は何故か満潮のときに生を受け、干潮のときに息を引き取った。満月の夜は事故が多くなるというのは通説であるし、いささか不謹慎ではあるが台風の前など妙にテンションが上がるのは、動物が騒ぐのと同じ原理であろう。

 植物が葉を落とし、虫たちが姿を消す秋。植物の生死と同じく、人も秋冬は背や髪が伸びる速度も遅く、抜け毛も数を増やす。例外もあるが、冬は自然界にとって死の季節なのだ。ここで、声を荒げていうまでもないが、人間は自然の法則・宇宙のリズムと密着した動物なのである。
 sentimental fall
 ご存知の方も多いとは思うが、死が迫り来る状況に男女二人を置くと性行為を始めるという。種族保存の本能が働くのだ。そのとき当事者は性欲を感じるのではなく、相手に深い愛情を感じるらしい。初対面の二人でも、愛しさが募るというのだから不思議な話である。

 冬。動植物にとって死の季節。人間にとっても、原始時代においては死と対峙しなければならない季節だっただろう。
 秋になると訳もなく人恋しくなるのは、進化しきった私たちの本能にも、目前までやってきている冬が死の季節だというプログラムが残っているのではないだろうか。種族保存をせよという命令が、人恋しい・寂しい・切ないという感情になって現れているのではないだろうか。

 以上、これはあくまで仮説である。
 読者諸賢。そうかと納得し、今がチャンスと異性にアタックして見事振られたとしても、私に責任の所在はないことを最後に明記して筆を置く。(了)