◆ハマのメリー◆ 1月17日。今日はハマのメリーの命日である。横浜メリー。戦後の街娼で、2005年に84歳で鬼籍に入った女性だ。顔を白く塗り、白いドレスに身をまとった姿が有名な老娼婦。 戦後の横浜には占領軍相手の娼婦がたくさんいて、メリーさんもそのうちの1人だった。彼女らは時代の移り変わりとともに徐々に姿を消していったが、メリーさんは残った。姿を消すどころが、年々その存在感を増していった。 その人目を引く風貌とオーラは横浜の風景にとけこみ、土地の人たちは皆、彼女のことを当然のように知っていた(いる)という。 ![]() 文献等によると、メリーさんは周囲に無関心だった。舞台化や映画化、雑誌掲載の取材等を受けても拒否もせず、喜びもせず。また、自分のことを語ろうともしなかった。どれだけのかなしみを背負っていたのか。 彼女は他人に心を開かなかった。女性とはほぼしゃべることすらなかった。きちんとした身なりの紳士しか相手にしなかった。若いころは高級コールガールだった。老いてなお、ドレスに身を包みヒールをはいて凛としていた。字が綺麗で、話し方が上品だった。 ![]() 泣きそうになるエピソードをひとつ。 いきつけの喫茶店で彼女はマイカップを持っていた。いつも決まった席で、いつもそのカップでコーヒーを飲んだそうだ。それは自分を高い位置に置いていたからではない。他の人がこの店でコーヒーを飲んだ時「メリーさんが口をつけたカップ」を使うのを嫌がるかもしれない、という理由だというのだ。 ![]() そんな彼女は老いてからも孤独を選んだ。――これぞ孤高である。 私が神奈川に居を移したときは、彼女はまだ生きていた。会ってみたかったと心底思う。会えたとしても、きっと、私などとは話などまともにしてくれなかっただろうけど。 戦争は多くの命を奪い、また、色々な形で傷跡を残した。横浜の娼婦たちもそのひとつだ。メリーさんが他界して8年が経過し、どんどん色々なことが風化していく。様々なものの犠牲の上に現代の私たちの生活があることを忘れてはならない。 天使はブルースを歌う――タイトルだけで切なさに襲われて、どうにかなってしまいそうだ。ブルースを歌う天使。その光景を想像すると、めまいすら覚える。 著者の山崎氏が初めてメリーさんを目にした時、こう思ったらしい。 白い天使、メリーさん。 ◆白い作品たち◆ 絶望は単純な色をしている また、吉野弘氏は「雪の日に」という詩を作っている。 中也が何度も雪に哀しみを託したのも、雪に・白に、やりきれないものを感じていたからだろう。汚れっちまった悲しみは消すことなどできないのだ。 白は絶望や悲しみを内包しながら、それでも気高くあろうとする哀しい色。 メリーさん8回目の命日に。全身からブルースを滲ませる孤高の白き天使よ、永遠に。(了) |