深紅の公園で

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 紅葉に染まる井の頭公園を散歩した。寒くなる毎に空気は澄み、透明な空気に紅が映えて美しかった。

 ところで、紅葉に限らず曼珠沙華や赤トンボなど、自然の深い茜色をみる度に思い出す一文がある。

――真っ赤な嘘というけれど。嘘に色があるならば、薔薇色の嘘をつきたいと思う。そう心がけている。――
(荻野アンナ『背負い水』第105回芥川賞受賞作)
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 真っ赤な嘘。赤裸々。赤っ恥。
 赤はヒトの内面や本心に迫る部分を表現する時に用いられることが多い色だが、はてさて「真っ赤」とはどんな色なのだろう。おそらく「完璧な赤」だ。どんな赤が完璧なのか。読者諸賢はどういった色を連想するだろう。

 小学校で使うような水彩絵具の無邪気な赤色だろうか。
 止まれと命じる信号機の赤色だろうか。
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 私は思う。
 「真っ赤」とは血の赤だと。
 嘘。赤裸々。赤っ恥。内面や本心……立ち入られたくない場所に踏みこまれたとき・隠していた部分を見られたとき・恥を承知で自分をさらけ出すとき等々、人の心は血を滲ませる。その血が「真っ赤」なのではないか。「完璧な赤」なのではないか。

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 ちなみに「あっかんべー」の「あっかん」は赤い目という意味だ。「赤い目 べー」なのだ。下瞼を指で引き下げて赤い部分を見せながら、べーをする行為。このとき見せる「赤い目」は皮膚の下を流れる血の色。胸の内であっかんべーをしながら真っ赤な嘘をついたりするわけだ。――やっぱり「真っ赤」は血の色でしょ、そうでしょ?

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 真っ赤な嘘は、血と痛みを内包している。紅葉も真っ赤な嘘も血の色も美しい。私が嘘をつくならば荻野氏のような薔薇色ではなく、血のような真紅がいい。うん、そう心がけよう。

――そんなことを考えるともなしに考えながら、初冬の空気を胸いっぱい吸い込む。すると何やら、そこはかとなく胸の奥に血が滲むようなやりきれない痛みを感じた紅の公園だった。(了)