方向音痴人の法則

 私は三大音痴である。
 一つ目は方向音痴。
 二つ目は運動音痴。
 三つ目は……ただの音痴だ!

 みなさんの周りにも一人や二人、方向音痴な人がいるかと思う。ひょっとしたら、ご自身がそうかもしれない。方向音痴の人間は、ある決まった言動をする。話題が方向音痴的なことに及んだときに、「自分がどれだけ方向音痴であるか」を自慢気に話すのだ。
「同じ場所を10分もぐるぐるまわった」
「地図が役に立った試しがない」
「人に聞きながら行ってもたどりつけない」
 などなどの方向音痴自慢だ。隠しておけばいいものを、なぜか語る方向音痴人。

 これが、方向音痴同士の会話になるととんでもないことになる。
「私なんて10回行った場所でも分からなくなるのよ」
「よく通った場所なのに、私ったら迷っちゃって」
 自分の方がひどい方向音痴だという主張する。ある種のプライドをかけた方向音痴勝負となってしまうのだ。
「あなたのほうがひどいわね」
 などと口が裂けても言わないのが方向音痴者の常である。

 こうなると、あと出しジャンケン状態と化す。相手のドジ話を聞いて(ふむふむ、それを超えるエピソードは…)と過去の記憶をひもときながら語り始める。
「私はね~……」
 自身のアフォ話を披露しつつ(どうだ、まいったか!)と心の中で勝利宣言をする。

 ……にもかかわらず、相手はまた「私はね!」と語り始める。もうこの勝負は止まりません、止められません!!

方向音痴

 私も過去に何人と方向音痴勝負をしたか分からない。しかし勝負といえど、勝ち負けはつかない。どちらが言い出すでもなく、話題はほかの事に移ってしまう。おそらく双方途中でハタと気付くからだ。
―どーでもええやん、どんだけ方向音痴かなんて……。

 ただの音痴(音楽的に音痴)や、運動音痴はそれを自慢することはない。
できるだけ隠しておきたい部分である。なのになぜ、方向音痴は自慢してしまうのだろう。その答えを私はまだ見つけ出せないでいる。
 ひょっとしたら、コラム「ごく普通な人たち 」に書いた「自分って特別なのよ」と主張したい意識が働いているのかもしれないな。(了)