昔の人の想像力・創造力に驚きと嫉妬を覚えずにはいられないときがある。 星を線で結び星座を作った。事件や事故が起こると妖怪を誕生させた。毛色は多少違うが、漢字だってそうだ。モノの形を単純化させるところから始まった文字。時間を経て、記号化され、体系付けられ……。どの工程をとってもソウゾウリョクが不可欠な作業だ。ついでに言えば、とても楽しそうな作業である。 例えば、才能の「才」は、地表に草木の芽がちょっと出た形を表している。上の横棒が地表で、縦線はもちろん芽。斜めを走るのは将来枝葉となるべき部分。ちょっと芽が出てるだけでなく、地面の下には枝葉が隠れているのだ。この字は遊び心なくしては作れない。 不在の「不」は、天に向かって鳥が飛び立つ様子。横棒が天で、下の部分が鳥の飛ぶ形だ。飛び去るから、打消しの意を持つようになった。たった一字でコトのてん末を表している「不」にドラマを感じる。 漢字の世界はもう確立されているので、今から新たに漢字を作るとすれば、外来の日本語くらいだろうか。ベッド・ファックス・エアコン・ファイル……。今、部屋で目に付いたものだけでも、書ききることのできない数だ。それにしても、音を表すだけのカタカナ語はなんと色気のないことか。 |