雅な衣替え

■消えゆく雅(みやび)
 10月1日。今日は衣替えの日。衣替えは平安時代からの風習らしいが、現代で「衣替え」を行っている家庭はどのくらいあるのだろうか。
 かく言う私もしていない。たんす等に入れっぱなしである。もはや「衣替え」は制服の夏冬切り替え日という感覚だ。

 子どもの頃は、ブリキの行李(こうり)で衣替えをしていた記憶がある。行李が押し入れに入っていて、時期がくるとたんすの中身を入れ替える。
 ああ、なんだか丁寧に生きているというか、雅というか。

 若い世代では「行李」を見たことも聞いたこともない方もいるだろう。今で言うところの、プラスティックの「収納ケース」「引き出し」 に該当するシロモノだ。私はブリキしか知らないけれど、ブリキの前は主に竹製だったようだ。これまた風流。雅な衣替え

 こういった雅なモノや風習は、気付くとなくなっている感じがする。劇的に消えるのではなく、いつの間にか。「あれ? そういえば……いつのまに?」と。


■音と字面
 今日、このコラムを書くにあたり、「あの箱、なんていう名前だっけ。服入れるやつ。ええと……」と、しばし悩んだ。
「そうだ、こーりだ! こーりだ!」
 思い出して無邪気に喜んだ。

 子どものころは行李を「こーり」と音だけで認識していた。初めて字面で「行李」と見たときにピンとこなかった。言葉とモノがつながったとき、「行李ってこーりのことかあ!」と無邪気に喜んだものだった。(※行李は「こーり」ではなく「こうり」です)

 お食事券と汚職事件。
 台風一家と台風一過。
 台風カレーとタイ風カレー。

 これらの語に対する思い違いと微妙に重なる。音から来る思い込み。字面を見て初めて解ける謎。そのとき人は無邪気に喜ぶ。
 日本語ゆえ。この喜びもまた雅なり。

■陰翳礼讃
雅な衣替え2

 ところで、雅な日本建築。行李の似合う日本建築もあまり見かけなくなってきているように思う。谷崎の『陰翳礼讃』を読んでみると、トイレも何もかも、全部和式にしたくなってしまう。

――引用ここから――
日本の厠は実に精神が安まるように出来ている。それらは必ず母屋から離れて、青葉の匂や苔の匂のして来るような植え込みの蔭に設けてあり、廊下を伝わって行くのであるが、そのうすぐらい光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持は、何とも云えない。漱石先生は毎朝便通に行かれることを一つの楽しみに教えられ、それは寧ろ生理的快感であると云われたそうだが、その快感を味わう上にも、閑寂な壁と、清楚な木目に囲まれて、眼に青空や青葉の色を見ることの出来る日本の厠ほど、恰好な場所はあるまい。
――引用ここまで――

 うーん、いいねえ。陰翳の美。 こういう厠がある家に行李はよく似合うのだろう。洋式水洗トイレでは無理である。

 雅な衣替え3(厠の思い出……)

 ちなみに私の仕事部屋はどこを見ても洋。和のテイストはひとつもない。想像してみると、畳に文机も悪くないな。なにやら文豪っぽいではないか。でも畳と文机なのにPCを置いているのは趣に欠ける。かと言って今更手書きには戻れない。やはり私の部屋は洋でつらぬくしかない。

 今時は、畳の部屋がないお宅も沢山あるのだろう。そうして気付けば 「あれ? そういえば……いつのまに?」と和室自体が日本からなくなっている日が来るのかもしれない。寂しいことよのう。

 自分は「洋」で生きているくせに「和」がなくなると、寂しく感じてしまう。思い起こせば成人式も振袖なんて着なかったし、浴衣すら持っていない。車も酒も洋モノ。ソファにベッドにガーデニング。それからそれから……。 西洋かぶれでなくとも、洋にどっぷり。

 それでもやはり雅なものがずっと生き続けて欲しい―― そんな身勝手なことを思う、雅な衣替えの日だ。(了)
雅な衣替え4