のぞき見の快感

 最近は細いフレームや小さめのレンズの眼鏡や主流なのであまり感じなくなったけれど、太いフレーム眼鏡の人がそれを外した瞬間どきっとすることがある。どきっとするのは、眼鏡をかけた顔とかけていない顔の印象があまりにもかけ離れている場合だ。
 どきっとするのにもシチュエーションがある。眼鏡をはずした顔を見せようとしたのではなく、レンズの汚れに気付いてそれを拭くために外したときとか。デスクワークに疲れて、眼鏡を外し、眉間をもむときとか。つまり、本人は見せようとしていないのに見てしまったときに限定される。

 眼鏡を外したら美男子(もしくは美女)だったというような意味ではない。逆に、不細工だったからビックリという意味でもない。なんだか見てはいけないものを見てしまったような気がするのだ。なんだかその人の裸を見てしまったような気がするのだ。なんだかなんだか気がするのだ。

 あ、私、なにも見てませんよ。
 見てませんので、お気になさらずに。
 そう告げたくなる。と同時に「いいもの見~ちゃった!」ってなのぞき見気分にもなる。心にちょっぴり快感じみたものが広がる。のぞき見は楽しいもんね。
のぞき見の快感 

 最近では、眼鏡をかけた顔とかけない顔の印象が大きく違うことを「メガネ顔」というらしい。「メガネ顔」と聞いて、私がイメージするのは「メガネが似合う顔」という意味。私に限らず、大抵の人がそう思うのではなかろうか。そういった意味で、あまりいいネーミングではないと思う。自然発生的にできた言葉なのかだれか有名人が言い出して広まった言葉なのかは知らないが。

 視力矯正器具をつけていない目を「裸眼」という。これを「目」という単位で見るのではなく「顔」という単位で見たならば「裸顔」ということになる。「裸眼」の読みは「らがん」だが、「裸顔」も通常の読みだと「らがん」になる。
 これはマズイ。「素顔」にならって重箱読みで「らがお」でいいだろうか。しかし、「らがお」と口に出していってみると誰かの名前のように聞こえる。
 先ほど「メガネ顔」のネーミングがよくないと言ったくせに、自分だってウマくない。 

 いやいや、でもでも。やはりメガネを外した顔を見てしまったときの気持ちの動きは、「裸顔」=「裸」だから。そこを考えると、ウマいネーミングだと思う。……と、そんなどうでもいいことを延々と考えているのが私の日常である。

 どうです? アホな日常をのぞき見した快感はあったかしら?(了)