大嘘つきは何になれる?

 私は大嘘つきの子供だった。ついた嘘は数しれない。

 子供というのは見え透いた嘘をよく言うし、友達につられて、つい大ボラを吹いてしまうということは珍しくない。
 テレビでUFO特集が放映された翌日には「UFO見たことある?」の言葉を皮切りに、嘘合戦が始まる。
「UFOかどうか分からないんだけど、ジョンの散歩してたとき、なんとなく空を見たら……」
「夜中、急に目が覚めたとき、枕もとに宇宙人が……」

 学校の2階女子トイレの一番手前に入ると後ろから手が出てくる、という噂が流れたりすると、その体験をした者は一躍ヒーローだ。
「出た! 手が、にゅーって!」
「ええっ! どんなのだった?」
「え、ええと、白くって…」
 その話に便乗し「私も声を聞いた!」「私はカギが開かなくって…」という者が続出する。
 中には実話もあるだろうし、恐怖という心理作用が錯覚を起こさせている場合もあるだろうが、嘘をついている子供がいることも否定はできない。

 私も、その手の嘘は率先してついた。世間一般で言うように、嘘には嘘が付き物である。
 小さな嘘の核に薄い嘘がからみつき、ごろごろと転げまわり、雪だるま式に大きくなってゆく。その時、罪悪感を感じる者と、感じない者とに二分される。私は後者だった。
 嘘が大きくなるにつれ、それは徐々に真実味を増してゆく。いつしか真実との区別さえつかなくなってしまう。自分自身も騙されてしまうのだ。嘘に酔いしれ、最後は酩酊状態である。

 私の嘘つき少女時代で特筆すべきなのは、ズル休みだ。登校拒否とは少し違う。
 学校が嫌いだった。勉強も嫌いだし、運動も嫌い。よく「給食の時間が一番好き」などという子供がいるが、当時好き嫌いの多かった私にとっては給食も苦痛だった。
 学校よりも楽しいことが家にはある。幸せいっぱいの家庭だったという訳ではない。ただ、家には私を楽しませてくれるモノがあった。

 折り紙・本・絵を描く道具・テレビ。学校でくだらない話を友達としているよりは、家で絵を描いたり、本を読んだり、何か作ったり、テレビを見ていたりしていたかった。テレビ番組ではNHKの「できるかな」が大好きだった。学校よりのっぽさんが大切だった。
 通信簿には『授業中、上の空』と書かれなかったことは一度もない。先生はよく見ているものだ。身体は教室の中にあっても、心は自宅の部屋にあった。

 だから私はズル休みを実践していた。
「行きたくない」
 と言わないところが私の嘘つきたる所以であり、あざといところである。
(明日は休もう)と決めた瞬間から、咳き込み始める。頭が痛い、などといって早く寝る。翌朝は当然、咳の乱発。ニセ咳の出し方について、私はエキスパートであった。
 体温計で測る前におでこで熱を診るのは定石であるから、額は手のひらで充分摩擦しておく。最後の関門、体温計も指やシーツでこすって水銀のメモリを上昇させる。これで完璧である。

 この手でズル休みをした記憶のある人もいるかもしれないが、私の場合は日常茶飯事だった。入院でもしなければ、年間の欠席日数が100日を越えたりはしないだろう。しかし、プロの仮病家だった私は、それを易々とやってのけた。
「よく熱を出す子」
「身体の弱い子」
「風邪をひきやすい子」
 と家族や周囲の人間に思い込ませていたのである。そして、いつからか自分でもそう信じるようになっていた。自分でも身体が弱いと思っていたから罪悪感もなかった。

 そんな問題児が大人になった。会社勤めも一応経験した。
 会社は欠勤してばかりいたかというとそうではなく、無遅刻無欠勤を通した。お金をもらって働くというのはそういうことだと、かつての問題児が殊勝にもそう思っていた。
 しかし……。

 私は根底に流れる嘘つきの血が、いつまでも大人しくしているはずがない。会社で真面目にやっている分、嘘をどこかで吐き出さなければ呼吸困難に陥りそうだった。
 絵の中で嘘をついた。
 詩の中で嘘をついた。
 文章の中で嘘をついた。
 蓄積された嘘は鈍い光を放ち始めた。
 やがて、私の大嘘たちが少々認められ、小さな作家が誕生した。
「作家は人をだまして飯を食っている」とはよく聞くセリフだが、まったくその通りであろう。
 大嘘つきは作家になれる。

大嘘つき
 だが、一歩間違えば、刑罰を受けるような詐欺師になっていたかもしれない。いや、この先にしても、私の作家生命を保証するものは何ひとつない。
 私がもし「とってもオイシイ話」をあなたに持ちかけたら、十分注意して欲しい。大嘘つきの私は、そのときすでに詐欺師に転向した後かもしれないのだから。 (了)