魚を活造りにしたり、生きたまま網で焼いたり……という光景を見ると、どういう気持ちになるだろう。 「ウマそう~」「急激に腹へってきた!」等のヨダレ系思考の他、「残酷」「可哀想」「痛そう・熱そう」等の偽善系……もとい、人間的な発想をする人もいるかもしれない。 網焼きなんて「残酷焼」という名前がついているくらいでもある。文字通り残酷イメージなのだ。 でも、心配ご無用。魚の脳はごく単純で、痛みを感じる器官はないのだ。痛覚がない。包丁を入れたときや火にかけたとき、ピクピク動くのは、反射であって「痛い」「熱い」からではない。 「いや、痛いからとかは関係なく、生き物を食べること自体が可哀想なんだ!」という主張もあるかな。でも私はそういう主張にはあまり興味がない。 魚にはないのは痛覚だけでない。やつらには「まぶた」もないのだ。 大抵の生き物は「痛い」ことがあったとき、反射的に「いてっ」と目を一瞬閉じる。だが、魚は痛覚がない。痛いであろう出来事がおこったとしても「いてっ」とならない。痛くないから目を閉じない。 ――そう。だから、まぶたがないのだ。
どうだ! くだらない持論に驚いたろう! 魚は痛覚のない生き物。それは分かっていても「なんとなく可哀想」と思ってしまう人も多いはず。冷酷無比な私だって、そう思うもの。魚の姿と自分とを重ね合わせてしまうことが原因だろうか。 |