コンプレックス――。 一つや二つや三つや四つは誰でも持っているコンプレックス。そう易々と克服できる代物ではなかろう。だが、私はいとも簡単にそれを脱ぎ捨てられた経験があるのだ。
中学時代に音楽を教えていただいていた先生と再会する機会があった。音楽1教科だけの担当というのは、なかなか生徒の顔を覚えにくいようである。更に、その先生が転勤していってから16年も経過している。先生は私が名乗ってもすぐには思い出せなかったようだ。
しかし、記憶を手繰るような表情をしながら、 「ああ。あの小ちゃかった子だ。目がくりっとして、丸顔で、背の低い……。うんうん思い出した、思い出した」 と満足げに笑った。 つまり、そのような覚え方をされていたわけである。「チビ」「丸顔」「童顔」この三点セットだ。そしてこれは私の中で、コンプレックスとして長く生息していた3つなのだ。
私は背が低い。150センチそこそこだ。 人は大抵、小学校に進学する頃から、身長を含む肉体的な成熟が気になりはじめる。私とて例に漏れず、同級生と比べて、自分の成長が遅いことをとても気にしていた。 背の順に並ぶと一番前ばかり。仲良くしていた友人は長身で頭一つぶんの身長差があった。一緒に写真を撮られるのが嫌だった。
私は、私以上の丸顔の人間と未だ出会ったことがないほどの丸顔である。丸顔というのは、実際より太って見られる。夏になって薄着になると必ず「やせたね」と言われてしまう。 やせてなんかいないのだ。少しも変わってなんかいないのだ。ただ、身体が露出されていない冬は太って見えるのだ、この丸顔のせいで。
丸顔の欠点はもう一つある。子供っぽい。老けた丸顔なんざ、聞いたことはない。 中学校に進学してからも小学生に見られ、時には高校生になってからも小学生に間違えられることもあった。この世代は背伸びをしたい時期である。肉体の発達の遅さを気にしている者に対し「小学生?」はトドメの一言であった。
社会人になってからもそれは続いた。一応OL経験者の私は、カッコいい女になりたかった。 背は高く、スレンダーで、シャープな顔。パンツルックもビシリと決まるような「できる女」にあこがれた。 「小さい方が可愛いよ」 と言われても、返す言葉は 「可愛くなんてなくっていい。カッコいいほうがいい」 ……ないものねだりである。
ところがある日「妖精体質説」なるものと出会った。 これはアンパンマンの作者やなせ・たかし氏が提唱している体質(人種とでも言うべきか)である。 ”メルヘン作家にしろ、イラストレーターにしろ、この世界には時々「妖精体質」の人が混じっているんだよね” と氏はよく口にするらしい。 妖精体質は、背が低く・童顔で・つぶらな瞳を持っている、というのが特徴だという。そして、生まれながらにして詩人。そういった妖精体質の人が、社会の中にさりげなく紛れ込んでいるというのだ。 氏はジェームス・バリや中原中也、東君平などが妖精体質なのではないかと推察している。
私は「妖精体質説」と出会って、小躍りした。 「うわ! 全部私に当てはまるぅ! そっか、私は妖精体質なんだ!! 生まれながらにして詩人! そうよね、そうよね~!」 こうなるとゲンキンなもので、チビも丸顔も童顔も、とぉってもありがたく思えてくるのだ。一瞬にしてコンプレックスは吹き飛んだ。 のみならず、 「もっと、小さくても良かったかな」 などと思ったりした。……まったく始末におえない。
元をただせば「良い」「悪い」で区切ってしまう人間の性がコンプレックスを生み出しているのだろうが、とにかくその部分を認めてくれる人・言葉と出会えば乗り越えられるのではないか。短所は見方を変えれば長所となるのだ。
世間のちびっこさん。あなたも私も妖精体質。さ、今日も詩人らしく生きていきましょ。えへっ。(了)
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