テレビの意識

 液晶テレビを買った。 リビング用のテレビがここ半年くらい調子が悪く、画面が写らないことがほとんどだった。
 音には異常がなかったから、大型ラジオ状態だったというところか。テレビは他にもう一台あるし、そもそもテレビなどほとんど見ないので特に必要性を感じていなかったのだけど「次に買うなら液晶とかプラズマとかの場所をとらないヤツがいいなあ」とはぼんやりと思っていた。

 そんな折、近所にある家電屋が完全閉店という折込チラシが。10~50%割引らしい。完全閉店なのにたった10%OFFはなかろうて、と思ったが、そんなことはまあよろしい。
 液晶テレビがお買い得だったので、思い切って買った。ああ、とうとう買っちゃったよ。現品はないらしく、後日配達ということになった。

 するとその日から、半年もの間不調だった旧テレビが、いきなり健康になったのだ。いきなり、なんの問題もなく写りはじめやがった。
 この絶妙のタイミング。テレビが「処分」という意識を感じ取ったとしか思えない。なら、もう少し早く「それ」を感じ取って、一日早く頑張りはじめてくださらんか。テレビの意思

 ともあれ、新しいテレビが本日届き、旧テレビは引き取ってもらった。
 電気屋さんの荷台に積み込まれた旧テレビ。走り去る車の後姿を見ながら、私の口をついて出た歌はもちろんこれだ。

「ドナドナド~ナ~ ド~ナ~」
 ああ、恨まないで。(了)